降参のススメ

阿雲の呼吸

真夜中の独り言

人は自分の知らないことを想像することができない。
未知のことを既知の中で理解してしまう。

さらに人は、他者を見下す傾向を持っているので、そんな人たちに対して人生を超えたメッセージを伝えるのは本来無理なことだ。

狂信的な何かにハマって、わけのわからないことを言っている奴に見られるのがオチだ。

だからこそ、黒斎くんのように全く違う背景を持った人と組むことで、何かしらの説得力が生まれると思っている。


人生を超えた理解は、人生を超える体験を持って初めて可能になる。

しかし残念ながらその体験は、人為的に作り出すことができず、ハプニングとしてしか起こり得ないときている。

そうなるともうお手上げだ。


黒斎くんが言うように、これまでにもいろんなエネルギーを浴びてきた。

それはこれからも続くだろう。


にもかかわらず、おせっかいにもそんな話をし続けるのは、そんな話をせずにはいられないからだ。

にごり水を飲料水として用いてきた村で、ある時、谷間から湧き出る清水を見つけてしまったら、今までの水はもう飲めなくなってしまう。

そして村人たちに、本当の水はもっと透明でおいしいんだって伝えたくなる。


濁り水で満足している村人たちは、そのような話に興味が持てず、わけのわからないことを言って人を惑わしている怪しい奴だと考える。

でも中には、こんな水よりもっとおいしい水があるはずだと考える村人もいる。

僕はそんな人たちを相手に話をしてきたと思う。


ところがある時、村の中だけでなく、世界中の人たちに情報発信する技術が登場した。

それによって耳を傾ける人の数が飛躍的に増えたのが僕にとっては10年前だ。

その分、誤解のエネルギーも増えたけど。


誤解だけじゃなく、嫉妬も増えたように思う。

自分のほうが人生について正しく理解しているのに、なんで偽物のお前ばっかり上手くやっているんだってね。


おっと、今日は長くなり過ぎたかな。


この文章は文字入力をしたのではなく、音声入力で書いたので、つい長くなってしまった。

それにしても入力の精度が上がったものだ。

いくつかの誤変換があるものの、ほぼ完璧に文章にしてくれた。

このまま載せることにしよう。


スポンサードリンク

思ってたんと違う

どんなカテゴリーにしてもそうだとは思うのですが、宗教やスピリチュアル、精神世界などでは特に、多くの「誤解」が付きまとっているように感じます。

僕自身、かつてはひどく宗教やスピリチュアルを毛嫌いしていましたし。

いや、正確には「毛嫌い」するというよりも、まったく眼中にありませんでした。

どんな教えなのか、何が語られているのかもまったく知らないまま、「怪しい」「いかがわしい」といったレッテルを貼り、それらに傾倒する方々を鼻で笑っていたというか。

「人生がうまくいっていない人、社会との円滑なコミュニケーションがとれない可哀想な人、あるいは、いい人ぶりたい人の吹き溜まり」みたいなイメージがあって、「僕はそんなところに足を踏み入れたくない」と距離を置いていたんです。

いま思えば、ひどく偏ったものの見方をしてたもんだと苦笑いしてしまいますが、実際のところ、僕もあの一瞥がなければ、そんな感覚を持ち続けたままだったでしょう。

きっと僕たちの活動においても同様で、話の内容を把握できていないまま、なんとなくで「いかがわしい」って思われてるところもあるんでしょうね。

実際、ブログのコメント欄を見ると「そういうことじゃないんだけどなぁ」という書き込みがチョイチョイ。

かつてそういう立場で世界を見ていたからこそ、その気持ちも十分わかるんですよね。

でも、実際にその気づきを目の当たりにしたら、きっと「ああ、そういうことだったのか」「思ってたんと違う!」ってなると思うんですね。

これは、否定派も、肯定派も同様に。

それこそ、僕も阿部さんも、言ってみれば宗教的にも門外漢ですし、何がしかの証拠を示せるような事柄でもないわけですから、なおのこと怪しさ倍増、胡散臭さ汁だくなのですよ。

阿部さんは、僕以上に何年・何十年とお話を続けてこられたわけですから、やっぱり「そういうことじゃないんだけど……」と、あらぬ批判を浴びることもあったと思いますが、そんな中で一番に感じる『誤解』『勘違い』って、どんなところだと思いますか?



\トークライブ・インフォメーション/

台風で延期となった『阿雲の呼吸』トークライブ・福岡公演は、12月2日(土)の開催となりました。

詳細・お申し込みは【こちら】をご参照ください!


スポンサードリンク

続・出家

出家の「家」が何を意味するかだけど・・・

 

それは家庭や家族のこと、あるいはその延長にある社会全般と思うのが一般的です。

 

しかし、この出家の「家」という言葉の本当の意味は、人間が概念で作りだしてきた世界すべてのことです。

 

家族も、会社も、社会も、世界も、実体ではなく、人間が作り出している関係のことであり、イメージ(概念)の産物です。

 

そして人は皆、自らが作り出した概念の世界がリアルな世界だと思って生きています。

 

それを夢、またはマーヤと呼びます。

 

 

出家とは概念が作り出した世界である「夢」からの出家です。

 

 

黒斎くんが言うように、「私は出家した。私は家族と社会を後にした。」というのは、本当の出家ではありません。

 

その人は再びヒマラヤの洞窟で、あらたな概念の世界(家)を作り出すことでしょう。

 

社会を後にした自分として(笑)

 

 

その気になればこの瞬間に出家は可能です。

 

そして社会の中で生きることもできます。

 

これが究極の出家の意味です。

 

 

しかしその一歩手前の、社会を後にして道を求めるという純粋な姿勢も効果を発揮することがあります。

 

やはり人間は環境の産物なので、全員が夢を見ている社会の中で、夢を夢と見抜くチャンスはほとんどありません。

 

そのような環境から離れる時間も大切だと思います。

 

 

一番手軽なのは瞑想です。

 

瞑想はわずかな時間の出家です。

 

 

そしてたとえ数日でも的を射たリトリートに身を置くのもいいでしょう。

 

でもたいていのリトリートは、夢の自分をより高めることに焦点が当たっていて、いま以上の自分になることを目指しています。

 

そういうもののほうが分かりやすいし人気もありますが、禅の修行道場で行われているのは夢そのものから目覚めようとする試みです。

 

 

西洋は夢を向上させることを何よりの目標としていますが、日本では早くからこの真理に根付いた伝統があり、それがいまだに残っているのですから、興味深い国だと言えます。

 

茶道も武道も、究極的には自己の不在を目指しています。

 

 

やっぱり人間には瞑想が必要だと思います。

 

子供のころから教えてあげたら、だいぶ楽になる子供も増えると思うな。

 

評価されるばかりじゃなく、そんなことよりもっと大切なものがすでに自分に備わっているという安心感。

 

 

出家という言葉を出してくれたおかげで、今日も言いたいことが言えました(^^)



スポンサードリンク

LINE読者登録QRコード
LINE読者登録QRコード