降参のススメ

阿雲の呼吸

思ってたんと違う

どんなカテゴリーにしてもそうだとは思うのですが、宗教やスピリチュアル、精神世界などでは特に、多くの「誤解」が付きまとっているように感じます。

僕自身、かつてはひどく宗教やスピリチュアルを毛嫌いしていましたし。

いや、正確には「毛嫌い」するというよりも、まったく眼中にありませんでした。

どんな教えなのか、何が語られているのかもまったく知らないまま、「怪しい」「いかがわしい」といったレッテルを貼り、それらに傾倒する方々を鼻で笑っていたというか。

「人生がうまくいっていない人、社会との円滑なコミュニケーションがとれない可哀想な人、あるいは、いい人ぶりたい人の吹き溜まり」みたいなイメージがあって、「僕はそんなところに足を踏み入れたくない」と距離を置いていたんです。

いま思えば、ひどく偏ったものの見方をしてたもんだと苦笑いしてしまいますが、実際のところ、僕もあの一瞥がなければ、そんな感覚を持ち続けたままだったでしょう。

きっと僕たちの活動においても同様で、話の内容を把握できていないまま、なんとなくで「いかがわしい」って思われてるところもあるんでしょうね。

実際、ブログのコメント欄を見ると「そういうことじゃないんだけどなぁ」という書き込みがチョイチョイ。

かつてそういう立場で世界を見ていたからこそ、その気持ちも十分わかるんですよね。

でも、実際にその気づきを目の当たりにしたら、きっと「ああ、そういうことだったのか」「思ってたんと違う!」ってなると思うんですね。

これは、否定派も、肯定派も同様に。

それこそ、僕も阿部さんも、言ってみれば宗教的にも門外漢ですし、何がしかの証拠を示せるような事柄でもないわけですから、なおのこと怪しさ倍増、胡散臭さ汁だくなのですよ。

阿部さんは、僕以上に何年・何十年とお話を続けてこられたわけですから、やっぱり「そういうことじゃないんだけど……」と、あらぬ批判を浴びることもあったと思いますが、そんな中で一番に感じる『誤解』『勘違い』って、どんなところだと思いますか?



\トークライブ・インフォメーション/

台風で延期となった『阿雲の呼吸』トークライブ・福岡公演は、12月2日(土)の開催となりました。

詳細・お申し込みは【こちら】をご参照ください!


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続・出家

出家の「家」が何を意味するかだけど・・・

 

それは家庭や家族のこと、あるいはその延長にある社会全般と思うのが一般的です。

 

しかし、この出家の「家」という言葉の本当の意味は、人間が概念で作りだしてきた世界すべてのことです。

 

家族も、会社も、社会も、世界も、実体ではなく、人間が作り出している関係のことであり、イメージ(概念)の産物です。

 

そして人は皆、自らが作り出した概念の世界がリアルな世界だと思って生きています。

 

それを夢、またはマーヤと呼びます。

 

 

出家とは概念が作り出した世界である「夢」からの出家です。

 

 

黒斎くんが言うように、「私は出家した。私は家族と社会を後にした。」というのは、本当の出家ではありません。

 

その人は再びヒマラヤの洞窟で、あらたな概念の世界(家)を作り出すことでしょう。

 

社会を後にした自分として(笑)

 

 

その気になればこの瞬間に出家は可能です。

 

そして社会の中で生きることもできます。

 

これが究極の出家の意味です。

 

 

しかしその一歩手前の、社会を後にして道を求めるという純粋な姿勢も効果を発揮することがあります。

 

やはり人間は環境の産物なので、全員が夢を見ている社会の中で、夢を夢と見抜くチャンスはほとんどありません。

 

そのような環境から離れる時間も大切だと思います。

 

 

一番手軽なのは瞑想です。

 

瞑想はわずかな時間の出家です。

 

 

そしてたとえ数日でも的を射たリトリートに身を置くのもいいでしょう。

 

でもたいていのリトリートは、夢の自分をより高めることに焦点が当たっていて、いま以上の自分になることを目指しています。

 

そういうもののほうが分かりやすいし人気もありますが、禅の修行道場で行われているのは夢そのものから目覚めようとする試みです。

 

 

西洋は夢を向上させることを何よりの目標としていますが、日本では早くからこの真理に根付いた伝統があり、それがいまだに残っているのですから、興味深い国だと言えます。

 

茶道も武道も、究極的には自己の不在を目指しています。

 

 

やっぱり人間には瞑想が必要だと思います。

 

子供のころから教えてあげたら、だいぶ楽になる子供も増えると思うな。

 

評価されるばかりじゃなく、そんなことよりもっと大切なものがすでに自分に備わっているという安心感。

 

 

出家という言葉を出してくれたおかげで、今日も言いたいことが言えました(^^)



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出家

いや〜、ごめんなさい。

なんだかんだと小忙しくて、気がついたら1週間が過ぎちゃってました……。

ホントにあっという間だなぁ。

さて、そんな時の流れの早さを感じつつ、マトリックスを思い出してみれば、あの映画が公開されたのは1999年。

なんと、もう18年も前なんですね。

あの年に生まれた子が、高校卒業しちゃうよ!

そりゃ僕もオジさんになるし、ウォシャウスキー兄弟もいつの間にか姉妹になるわけだ……。


ところでこの映画の中では、高度に発達したコンピューターが作り出した仮想現実を『MATRIX』と呼んでいるけど、本来『MATRIX』は、ラテン語の「母」を意味する「mater」から派生した言葉。

それが転じて「母体」「基盤」「基質」「そこから何かを生み出す背景」などの概念を表すと言われています。

だから、その意味合いは『道(TAO)』と同じなのかもしれません。


色々なメタファーや示唆に溢れるこの映画。

気づくとついつい「なるほど!」と膝を叩いてしまう名シーンが多々あります。


「自我」のメタファーである「エージェント・スミス」は、主人公「ネオ」を夢(仮想現実)に留めようとします。

彼は決して、「ネオ」を「ネオ」とは呼びません。

「ミスター・アンダーソン」、必ずそう呼びます。

「何者でもない」、ある種の「記号」としての名ではなく、
「ミスター・アンダーソン」という「社会的役割」「パーソナリティー」に呼びかけて「社会(仮想現実)」に引き戻そうとします。

人は夢の世界に生きているから、夢の話に惹かれる。

これは、「人は社会に生きているから、社会の話に惹かれる」と言い換える事ができますよね。

「人は社会に生きている」、この当たり前が当たり前と感じられるからこそ、夢の中にいることに気づくのは難しい。

だから、社会から逸脱してしまわなければいけないのだけど、この「社会から逸脱する」という言葉もまた、誤解を生んでしまう。

「社会から逸脱する」というのは、「脱社会的な生き方」のことで、決して「反社会的な生き方」を意味しているわけありません。

「脱社会」は、社会の枠から外れた生き方。

言い換えるなら、あらゆる「役割」や「取引」から自由になった状態です。

一方「反社会」は、社会の枠の中で、それに抵抗する生き方。

準じていようが、反していようが「社会」というものに関与しているという意味では、同列です。

そうして世俗を離れるところに「出家」がある。

なのに、某女優さんは、「出家して教団においての新しい役割を担う」なんてことになってしまった。

あらゆる役割・取引から自由になるところに「出家」があったはずなのに……。


モーフィアスが薬の選択を求めるあのシーンは、まさに「出家」の意思を確認する、そんな意味合いですよね。


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