なるほど・・・

 

現象はあるけど実体はないか。

 

 

会社とか、何かのグループとかを例にとると分かりやすいね。

 

黒斎くんは、こういう例えが上手だから人に伝わりやすいんだと思う。

 

 

とは言うものの黒斎くんには、このことが読み手に上手く伝わったとしても、何らかのジレンマが残るんじゃないだろうか。

 

だっていくら理屈が分かっても、最も大切な「自分は実体ではなかった」ということを完全に知るには、自己を超える経験がない限り無理だと思うから。

 

それくらい自己という幻想には現実味がある。

 

 

このジレンマは僕も同じで、何度言い続けたところで、その言葉を自己が解釈する限り知識が一つ増えるだけであり、むしろ真理を知った自分として自己は増大する。

 

 

 

それでも伝え続けたくなるのは、いったい何だろうね。

 

しかもこれしか人生でやりたいことがないときている。

 

 

もちろん楽しいこともしていくだろうけど、生きがいとしてやりたいことはこれしかない。

 

こういうのをカルマって言うんだろうか。

 

 

大阪と名古屋のコラボトークで、2人で転生の話もしたよね。

「自己という実体」がないにも関わらず、転生という現象が起きるのはなぜか。

 

その答えは、思念・想念は肉体の死後もこの空間に留まり、それを第三者が引き入れた時、過去にその想念を持っていた人の生まれ変わりだと信じるのかもしれないということ。 

 

転生するのは「個としての魂」ではなく(そんなものは存在しないから)、何らかの思念・想念のようなものではないかというのが僕らの一致した考えだ。

  

 

ということは、過去に真実を伝えようとした人の想念を、2人共にキャッチしたってことかも。
 

 

しかも2人とも仏教系。

 

もっと詳しく言えば、禅宗、それも臨済宗。

 

ここまで一致している。

 

 

 

それなのに2人とも宗教界の人間ではなく一般人。

 

それが何かの拍子に同じ時期にブログを始めて、こうして出会って、プロのお坊さんたちからも一目置いてもらって、ささやかながらも活動を続けている。

 

これは奇跡に近いことで、何かの因縁として捉えたほうが合理的だと思う。

 

 

それでは何の因縁かと言った時、やはりそこには今生だけでは説明できない何かがあるのではと思うわけ。

 

 

それが何なのかはわからない。

 

すべてのことは、大いなる仕組みの中で自動的に起きているということだけは確信しているけれど(主体的自己の不在)、大いなる仕組みが何なのかということについては、ただただ摩訶不思議。

 

 

何も分からないけれど、分からないことは分からないままでいいわけで、結局最後に残るのは

 

 

合掌
 

 

思召すままに