恐ろしく的外れな新興宗教やカルトは別として、それがどんな宗教であれ、その根っこで指している世界は同じものだと思います。

しかし、その指している世界は、相対を超えた絶対の世界で、表現不可能なとても抽象的なもの。

それが、「宗派」や「教え」といったカテゴライズによって、具体的に示されてきました。

(その中において『禅』は、抽象を具体化することなく、抽象のまま指すことに特化しているわけですが)


ヒンドゥ教も、イスラムも、キリスト教も、仏教も、

指している先は皆同じ。

ただ、その差し方や指の形が違うだけ。


おそらく、この「日本」という土地は、元来「抽象世界を生きる」ということが得意なところだったのではないでしょうか。

指(表現)の方ではなく、その指が示す「そこ」を捉える事ができたからこそ、さまざまな宗教観を受け入れ、神仏混交の文化を形づくることが出来た。

他国では当たり前ではない「共感」が、当たり前にできるDNA。

それが刻まれているのが、僕たち日本人なのだと思います。

指(表現)の方ではなく、その指が示す「そこ」を捉える事ができたからこそ、さまざまな宗教観を受け入れ、神仏混交の文化を形づくることが出来た。

はたまた、宗教という「カタチ」に固執する必要もなかった。

かつてOSHOは「宗教と宗教性はまったくの別物」とお話されたそうですが、まさにこの「宗教性」を、教えられなくとも活かすことに長けているのが、大和魂なのでしょう。


この柔軟な感性とスタンスが、これからますます海外に輸出され、某かの影響を与えていくように思います。

いえ、厳密には、もうすでに様々な形で影響を与えているのですが。


昨今、阿部さんも繰り返しお話されている通り、来年以降はこの流れが加速しているのだろうと、僕も感じています。