降参のススメ

阿雲の呼吸

雲黒斎

食わず嫌い

またまた更新が遅くなってしまって、本当にごめんなさい!

なんでだか、ここのところすっかり忙しくなってしまって…。

といっても、自分でそうなるようなスケジュールにしてしまったからなのですが(苦笑)


さて、そんなこんなで、これまでずっと避けてきた対面セッションを本格的に始動しました。

こうしたメッセージを色々なところでシェアしながらも、こと『対面セッション』に関しては、長いこと「やるもんか」という姿勢でした。

いろいろな方から、「是非」とお願いされることも少なくなかったのですが、「ごめんなさい」と、繰り返しお断りし続けてきました。

それはなぜかと訪ねられても、うまく説明できないのですが、とにかく頑なに「やりたくない」という気持ちだったんですね。


なのに。

人の気持ちというのは本当に揺れ動くものですね。

急に、「せっかく求められているのに、頑なにお断りしつづけているのも、どうなのだろう」と思うようになってきたんです。

僕は、何をこだわり、握りしめているんだろうと。


こうしたことを始めれば、また何かとヤイヤイ言われることになるんじゃないか。

誰かの人生を背負い込むほどの甲斐性があるわけでもないし、面倒に巻き込まれても困る。

コレと言った専門的な解決策を提示できるわけでもないし、何よりも大変そうだ。

そういって、結局は保身していたのかもしれません。


普段から、思い込みを外そうだの、人からどう見られるかなんて気にするなだの、自由でいいだのといいながら、そういう僕自身は、どうなんだと。


で、ちょっと「やってみようかな」と動きだしてみたら、思いの外、面白くなってきちゃって。

『案ずるより産むが易し』の言葉のとおり、実際に動いてみれば、思っていたよりずっと楽しい世界が待っていました。


いや〜、ほんと、喰わず嫌いでした。

やったこともないのに、あれこれ言っていたのがバカみたい(笑)


いまとなってみれば、楽しいはずです。

何かを伝えようと思うのなら、Eメールより手書きの手紙の方が思いが伝わるし、活字より肉声の方がニュアンスが伝わるし、声だけよりも、膝をつき合わせて話した方がいい。

シェアしたい内容が、言葉にならないものならなおのこと。

これまで、沢山の人の前でお話することは多かったものの、一対一で話すのとでは、やっぱり大分違います。


そして嬉しいことに、ここ数回のセッションの中で、実際に「解放」が起こったんです!

セッション中、そのクライアントさんは、個人の不在に気づき、涙を流しながらの大爆笑となりました。

これには、僕もビックリ(笑)

本当に嬉しいハプニングでした。


もちろん、みんながみんなというワケではありませんが、こういうことって、あるのだなぁと。

そんなこんなで、お陰様でとりあえずの出だしは順調でございます。

地球の変化

>僕たちは、人間という存在の真実や、この世の真理について長年にわたり解説してきました。
>これからは、その真理を背景にして如何に生きるのか、そんなガイドになっていきましょう。
>そのためにも僕たち自身がそれを生きることであり、多くの人に勇気と可能性を与えていくと確信しています。

僕に何が出来るのか、いまだ模索の中にあるのですが、「何かが始まりそう」という予感だけは日に日に強まっているのです。

ここらへん、雲さんも「これだよ」って明確に示してくれるとありがたいんですけどね。

僕が何をするのか(あるいは、しないのか)には、一切干渉せず、「自分で決めなさい」って言われるだけで。

でもきっと、近いうちにカタチが見えてくると思っています。

というのも、僕自身の感覚の変化、といいますか、認識の変化、といいますか、いわゆる『引き寄せの法則』の根っこが、また別なカタチで感じられるようになってきているんです。

ああ、本当に、全てが『思い通りに展開している』と。

そこに、抗いようのない仕組み、法則があると。


思い返せば、『あの世に聞いた、この世の仕組み』の冒頭は、まさにこの「引き寄せの法則」のことでした。

まだまだその内容は浅いものの、ロンダ・バーンの『ザ・シークレット』や、エスター・ヒックス、ジェリー・ヒックス夫妻の『引き寄せの法則 エイブラハムとの対話』の日本語版が世に出る前、まだ「引き寄せの法則」という言葉が広まる以前から、

<font color="orange">(  ̄Д ̄)</font> 『夢や希望は追い求めてはいけない。引き寄せるんだよ』

なんてことを書いているわけですから、我ながら大したものです(笑)


きっと、世界中で同時に、このメッセージが広がる流れがあったのでしょう。

阿部さんもブログもまた、同じ時期に始まっているわけですし。

そしてまた、それらのメッセージが、それまでの「トンデモ系」として無視されることなく、瞬く間に世間に浸透してしまったのも不思議といえば不思議です。

いまでは、それほどスピリチュアルや精神世界にアンテナが向いていない人まで、日常会話のなかに「引き寄せの法則」が現れるほど。


これは、個人的な出来事や、偶然と言えることではなく、地球規模、宇宙規模で、全体が変化しているからこそだと思います。



2012年以降、徐々に「アセンション」という言葉が薄らいでいるように感じますが、阿部さん的には、この辺、どう捉えていますか?

僕には、いまもなお、ますますその流れが加速しているように感じるのです。

その一つの感覚として、

「嬉しいことも、辛いことも、思考が現実化するスピードが早まってる(タイムラグがみじかくなってきている)ように感じる」と、先ほどSNSで呟きましたら、やはり沢山の方から、

「I THINK SO, TOO!」

という反応を頂戴しました。


阿部さんはいかがですか?

おそらくは「願うまえから叶っている」といったところですかね。


やっぱり、アセンションはいよいよ佳境を迎えているのでしょうか?

期待と、不安と

うわっ、阿部さんばかりじゃなく、僕まで更新が遅くなっちゃった(苦笑)

僕のブログの更新のなさは毎度のことですが、こちらまで遅くなってしまっては申し訳ない<(_ _ ;)>


こうしてブログの更新は呑気な感じなのですが、見えないところではなんだか忙しくさせていただいております。

それが僕のお役目なのかどうかはわかりませんが、ちょっと新しいことにチャレンジしたくて、色々と準備を進めています。

が、思ってた以上に準備に手こずっておりまして、なかなかスタートできず。。。

でも、もうちょっとで始められそうです。^^


こうして新しいことに踏み込む時って、やっぱりドキドキしますよね。

ワクワクもあり、不安もあり。

まぁ、「期待」も「不安」も、「未来がどうなるかわからない」っていう同じ理由で現れているわけですから、期待と不安を切り分けるのも不思議な話ですけども。

ああ、そうだ。

この場合、「ワクワク(ポジティブ)」も、「不安(ネガティブ)」も、どちらにせよ意識が『未来』に向いている。。。


そこで質問!

「今を生きる」阿部さんにとっても、そういう心の動きはありますか?


「不安」のこともさることながら、『引き寄せの法則』にも、この「ワクワク」は、めっちゃ重要なキーワードとして語られているわけで。


あと2ヶ月もすれば、出会いと別れの季節。

新しい環境を迎えるにあたって、期待や不安を抱いている方も多いことと思います。

そんな僕たちに、ぜひ一言エールをお願いいたします!

やる気スイッチ

こういう仕事をしている時の黒斎君は、たぶん時間経過を忘れて集中しているんだと思います。
この集中力の感覚を、自由に使いこなせたら凄いことになるだろうね。
>ところが、なかなかその気にならないのが人生ってやつなわけで(笑)

はい、その通りです。
こういう時は、自分でもビックリするぐらい神がかった集中力が発動するんですよね。
初めて阿部さんの本を編集させていただいた時もそうでした。
時間経過も疲れも自我も一切が飛んでしまって、「そのことだけ」になっちゃう。
こういうのを『三昧』っていうんですかね?

本当に阿部さんの言うとおり、自由に使いこなせるようになれたらいいのですが……

いわゆる「やる気スイッチ」ってヤツが入らないことには、どうにもならなくてですね。
っていうか、僕の場合はとても極端で、スイッチが入っているかいないかの2つしかなくて、間のグレーゾーンが抜けちゃってるんですよ。
ギャップもメッチャ大きくて、スイッチが入ってないと、まるで使い物になりません。

この極端な気質に、自分自身でも手を焼いているのです。

どこでどうスイッチが入るのか、それもよくわかっていなくて。
あるとき突然発動したりするんですよねー。

とりあえず、今回ご提案いただいた「ギャラの総取り企画」では、スイッチは入りませんでした(笑)

とにもかくにも、このやる気スイッチ、僕の場合は意図的にコントロールできないので、ひたすら「発動を待つ」という感じなのですが、阿部さんの場合はどうですか?

抽象を生きる大和魂

恐ろしく的外れな新興宗教やカルトは別として、それがどんな宗教であれ、その根っこで指している世界は同じものだと思います。

しかし、その指している世界は、相対を超えた絶対の世界で、表現不可能なとても抽象的なもの。

それが、「宗派」や「教え」といったカテゴライズによって、具体的に示されてきました。

(その中において『禅』は、抽象を具体化することなく、抽象のまま指すことに特化しているわけですが)


ヒンドゥ教も、イスラムも、キリスト教も、仏教も、

指している先は皆同じ。

ただ、その差し方や指の形が違うだけ。


おそらく、この「日本」という土地は、元来「抽象世界を生きる」ということが得意なところだったのではないでしょうか。

指(表現)の方ではなく、その指が示す「そこ」を捉える事ができたからこそ、さまざまな宗教観を受け入れ、神仏混交の文化を形づくることが出来た。

他国では当たり前ではない「共感」が、当たり前にできるDNA。

それが刻まれているのが、僕たち日本人なのだと思います。

指(表現)の方ではなく、その指が示す「そこ」を捉える事ができたからこそ、さまざまな宗教観を受け入れ、神仏混交の文化を形づくることが出来た。

はたまた、宗教という「カタチ」に固執する必要もなかった。

かつてOSHOは「宗教と宗教性はまったくの別物」とお話されたそうですが、まさにこの「宗教性」を、教えられなくとも活かすことに長けているのが、大和魂なのでしょう。


この柔軟な感性とスタンスが、これからますます海外に輸出され、某かの影響を与えていくように思います。

いえ、厳密には、もうすでに様々な形で影響を与えているのですが。


昨今、阿部さんも繰り返しお話されている通り、来年以降はこの流れが加速しているのだろうと、僕も感じています。
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